三河人の原点を探って

このサイトを作ってみようと思ったのは、ある夢がきっかけでした。
三河に住み人たちの人となりや習俗などを多方面から調べていけば、もしかしたら今後の三河に住む方たち(これから引っ越してくる方も含めて)役に立つかもしれないと思ったからです。

関東、関西、九州など、他地区から岡崎に来られる方が増えています。近頃は海外からの方も多いのですが、ここまで広げてしまうと国家観とか民族の違いが有るので、難しくなりすぎますが、少なくとも日本国内から岡崎へ来られた方に話をお聞きすると多くの方が、「岡崎は、よそ者を寄せ付けないようなものがある」とか「争い事が多いように見える」などと仰るのです。
また他方で、「親しんでくると、これほど人情味が良く、楽しくやれる土地も少ない」との言葉もいただきます。

そこで、岡崎に限ることはしませんが、三河(特に岡崎以東の東三河地区)での情報を種々のカテゴリーに分類しながらブログに書き留めていくことにより、もしかしたら三河人の特質や、いまの三河を作られた先人たちのご苦労を理解するための助けになるのではないかと思いました。

 

そこで、初回として「三河物語」を取り上げてみたいと思います。

「三河物語」とは、江戸時代という途方もない平和な時代を築いた徳川家に、三河松平郷から九代に亘って仕えた大久保一族の忠誠を記した「門外不出」の物語です。

えっ!?門外不出なのに何故そんなものが世の中に出てきているの?
と思われるのは当然ですね。

面白いのは「三河物語」の原著者:大久保彦左衛門は、盛んに「門外不出のものゆえ、他人に見せてはいけない」と書かれているにもかかわらず、他の人が見るであろうことを予想して書かれているらしいことです。

この辺りは日本人全体の面白い所なのか、三河人独特なのかは、三河の者には分かり難い事なので、他の地区の方々のお考えをお知らせいただけると嬉しく思います。

さてさて話は少し戻りますが、大久保彦左衛門と言ってすぐに分かる人も近頃は減ってきているようです。
現在5,60歳以上の方なら「一心太助」というTV番組で「天下のご意見番」という役どころで知っている人は多いと思うのですが、若い方々にはなじみのない名前になっていると思います。

大久保彦左衛門は、先に見書きましたが、江戸幕府を開いた徳川家に仕え、徳川将軍家を作り上げた武士団の中の大久保家の人であるということをまずは知ってください。

一般には「大久保彦左衛門」と呼ばれますが正式には「大久保彦左衛門尉忠教(おおくぼひこざいえもんのじょうただたか)」と言います。忠教(ただたか)が実名で彦左衛門は通称です。(”尉”は省かれてよばれたようですね)
永禄三年(1560)生まれで寛永十六年(1639)に亡くなっていますから八十歳。当時としては非常に長命だったと思います。父は大久保忠員(ただかず)で十人の男子の八番目という事です。ですから子どもの頃から父親に面倒を見てもらうよりも長兄の忠世(ただよ)に付き従って戦場も駆け巡ったようです。

この時代、織田信長によって武士は戦闘専門の集団になっていくようなのですが、少なくとも三河武士たちは、戦以外の時には農作業を行っていたことも書かれています。のち江戸時代になってからは「士農工商」という身分制度が有ったと学校で習った記憶が有りますが、日本の場合、外国(特に欧州)での身分制度と異なり、士(武士)であっても位が一番上だから農作業などしない!という事はなく、農作業もするし、時代劇で出てくるように傘張りなどの内職をする武士もいたわけですね。
でも、それが武士として端という事ではなくて、武士は日本国民の手本になるような人格を備えた者、とでもいうべき役割を与えられた人たちであり、武士は食わねど高楊枝などというように、貧乏であろうが裕福であろうが、皆の手本になることが名誉だとして生きてきた人たちだったように思います。

今の世の中では、収入が低くて農作業をしなければ生きていけないのに、位が高いんだから立派な身なりをして、皆の手本になるんですよ!なんて言ったら、「そんなの不公平だ!」と言われてしまうかもしれません。

人生観とでもいうんでしょうか、彦左衛門は三河物語の中で子孫に向けて、こんな言葉を残しています。

一、主君を裏切り、主君に弓を引く者
二、卑劣なふるまいをして、人に笑われるような者
三、世間体の良い者
四、算盤勘定の上手な者
五、どこの馬の骨かわからないような者
こんな人は出世できる。

そして
一、主君を裏切らない者
二、戦いだけに生きる者
三、世間づきあいの悪い者
四、ものごとに計算ということをしない者
五、長く主君に仕え続ける者
こんな人は出世できない。

その後に彦左衛門は後者の生き方をしろと書いています。名誉こそが大切なのだから、というのが、その理由です。

いまの時代でも同じでしょうが、こうした事を言っていると周りの人からは煙たがられるでしょうね。だからこそ彦左衛門は、江戸時代でも庶民から喝さいを浴びる「天下のご意見番」と言われたし、いまも「三河物語」のおもしろさが伝えられているのでしょうね。

 

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